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68年前の1945年8月15日正午、昭和天皇はラジオを通じ、
満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと拡大した15年におよんだ戦争に
日本の降伏を国民に伝えた。
日本の戦没者は軍人・軍属230万人、民間人80万人。
アジア・欧米諸国にも多くの犠牲をもたらした。
政府は1982年に8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めた。
戦後68年。戦争の記憶が遠くなる一方、東京の靖国神社や千鳥ケ淵戦没者墓苑では、
訪れた人たちがそれぞれの思いを胸に、犠牲となった肉親や先人を悼んだ。
また、政府主催の「全国戦没者追悼式」が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
天皇、皇后両陛下のご臨席のもと、安倍晋三首相や全国各地の遺族ら6091人が参列。
戦争の犠牲となった軍人・軍属・一般市民の冥福を祈るとともに、平和への誓いを新たにした。
天皇陛下は「終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません」と、お言葉を述べられた。
最高齢遺族として白寿を迎えられた埼玉県宮代町在住の青柳よし乃さん(99)が式に参列された。
数多くの苦難を乗り越えられてきて今は
「子供も孫もひ孫も、みんな元気でいるので、どうか安心してください」
と夫、好男さん=当時(33)に伝えた。
また、最年少遺族として参列した横浜市戸塚区の小学5年、中島馨君(10)。
「もっと歴史を勉強して、シベリアでどんなに大変な生活を送ったのか、忘れず伝えていきます」。
と第二次大戦後のシベリア抑留中に死亡した曽祖父、石井吉三さん=当時(34)=の遺影を胸に抱いて参列した。
「ソ連は日本を攻撃しない約束だったはず。シベリアに行かなければ、ひいおじいちゃんは帰ってこられたのではないか」と感じている。
あの戦争をめぐり賛否いろいろな意見がある。
日本から見れば日本の立場、考え方
他の国から見ればその国の立場、考え方
日本にも原爆投下があったり、戦後十余年にも続いたシベリア抑留があったり・・・
でも10代の少年が死を覚悟して命懸けで戦った事実だけはどうしても次の世代に知ってほしい…
わずか18歳 特攻に行く若者は
私が今日特攻隊に行かなければ、日本全土に戦争が迫りこの世で一番大好きなお母さんが死んでしまう、歳を老いた父さんが銃を取るだから私は行くのです。
私は死んでゆく事よりも母さんの涙が怖いと・・。
国のために、大好きな母の為に、父の為に、家族の為に、大切な人の為に、
命を捧げた若き英霊に感謝と敬意の念をもって生き続けて行きたい。
今こんなにも豊かな生活をしている私がここにいる。
それも命をかけて大切な人々を守ろうとして下さった全ての御霊のお陰様。
戦後68年・・・なのに今でも戦いは行われている。
私たちは、日本人、中国人、韓国人、アメリカ人、・・・
各国の人である前に、皆同じ地球人なのにな~。
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